日本語の訂正

自分が勉強してる外国語の文章を人に訂正してもらえる機会がなかなかないものです。親友や教師以外の人はめんどくさがる、または失礼にあたると思い、訂正をしてくれません。

僕も仕事柄、外国人と接すことが多くて間違った英語をよく訂正してあげたくなりますが、気に障ると思って遠慮します。教えて貰うのはいいとしても他の人に自分のミスを知られたらいやかもしれません。

とは言っても、僕は自分の日本語を訂正されて嫌な気持ちになったり怒ったりすることはほとんどありません。訂正されるよりも、馬鹿みたいにずっと不自然な日本語を喋ってるほうがよっぽど恥ずかしく思いますから。

そういう訳でこのブログの記事(過去の記事も含め)に間違った日本語や不自然な日本語があることを、コメントを残して指摘していただけたらとても嬉しいです。(英語を勉強してる方がいらっしゃったら英文の訂正をしてあげましょう。)

 とお願いしたものの、自分の話す日本語と書く日本語を普段から意識してて、間違えに自ら気づくのが理想であることも承知しています。そう簡単にはいかないものですが。

 

自己表現

僕の持論なんだけど、人間というのは本来、自己主張と自己表現を重要視するものである。自分の思ってることや感じてることを何らかの形で伝えると自分に価値があるとさえ感じて自分の存在が確認できると言えるかもしれない。自己表現をうまく出来ない人は逆に自分に自信がないでしょうし。

 こう言った自己表現の重要さは多分個人差が結構あるかもしれないけど、誰しも多かれ少なかれこれを大事にすると思う。

僕の場合は小さいごろ、何言ったってどうせ親に分かって貰えないと思ったことが何回かあるせいか、自分を表現することに余計にこだわる。伝えようとすることが分かってもらえなかったら悔して仕方がない。

外国語の日本語ではまだうまく伝えられないことが多いから尚更悔しくなる。だけれど諦めるどころか、「自分の言いたいことを伝えるにはもっと頑張らなきゃ!」と勇気づけられてやる気がでる。日本語の学習がすぐマスター出来るくらい簡単だったらとっくにやめてると思う。

こう考えると、日本語で自己表現がうまくなりたいというのが、このブログを作ったもっとも大きい理由かもしれない。

ちなみに、以前読んだ記事によるとブログや日記を通して思いを表現することだけでいやし効果があるらしい。意外な事にその文章を誰にも読まれなくても。

考えをまとめて文章にすることによって自分に自信がついたり癒されたりするみたい。

通りでネット上のブログが数えきれないくらいあるわけ。

 

 

日本語の外来語

僕は日本語を勉強してていつも不思議に思うのが外来語の数。特に英語から来た外来語が凄く多い気がする。

別に外来語があること自体がおかしいというのではなく、人口の多い言語では逆に外来語の導入がないほうが可笑しい。

僕が思うには、言語というのは時代と共に変化して行くもの。これは生き物に例えるとまるで「進化」みたいなプロセソで、文化によって少しずつ最適化されていくと言えるでしょう。よって、進化しない言語は絶滅するはめになる。

そういう意味では外来語の増加はごく自然なこと。英語もドイツ語とフランス語の外来語などが非常に多い。

ただ僕にとっては、日本語が外来語を取り入れるスピードがあまりにも速いような気がする。日本語で言い表せない事を表現する為の外来語なら分かるけど、そうでない場合も多い(例:ライト/電気)。専門用語じゃなくて一般の人が日常使いそうな単語が多いのも意外だ(例:オッケー/分かった)。

理由はいくつか考えられる。

*一部の日本人は西洋の文化が格好いいと思ってるらしいからマーケティング部の人は商品を売れるために英語から積極的に外来語を取り入れてる。

*鎖国政策によって一時期日本語の、外国からの影響が割と少なかったから現代では鎖国が終わって世界中の国の影響を受けて外来語を増やす必要がある。

*本当は日本語の外来語の数と増加のスピードは他の言語と変わらない。日本語の外来語が多いということは、あくまでも僕の推測で具体的な調査はしていない。

この件に関して日本人の感想も聞きたいのでコメントをしていただければと思います。